吾輩はサラリーマンである。

吾輩はサラリーマンである。今日は昨日より少しでもいい人間になりたい40歳。

職場の人間関係に苦しんでいる方へ その①【ロクデナシ】

吾輩はサラリーマンである。

吾輩は、幻の秘境と呼ばれるグンマー国にて、物流会社の一拠点のセンター長をしている。

関単にいうと、倉庫の職場の営業所長みたいな感じだ。

規模は立地は明記できないが、正社員は20~25名ほど。パート・アルバイト社員さんを合わせると50名超。まあ、こじんまりとした食品関係の倉庫である。

 

コロナ禍により一部、取引先や社内会議などでリモートワークが導入されてはいるが、まだまだグンマー国では というより、物流現場である倉庫では、現場(倉庫)に人間がいることが不可欠だ。

 

マスクを着用していること。

出勤したら検温記録表に体温検温結果を記入すること。

一日に二度、事務所内の消毒をしていること。

  それ以外、社員と顔を合わせる日常に、変わりはない。

 

センター長というと、いかにもコミュニケーション能力に長け、人望に溢れ・・・のようなイメージがある方もいるかもしれないが、とんでもない。

元々 THE BLUE HEARTSに何度も救われたような人間である。

世の中を斜に見て生きてきてしまった人間である。


ロクデナシ  THE BLUE HEARTS

 

上記の「ロクデナシ」という歌に、こんな歌詞がある。

「役立たずとののしられて、最低と人の言われて要領よく演技できず、愛想笑いもつくれない。

死んじまえとののしられて、この馬鹿と人に言われてうまい具合に世の中とやっていくこともできない。」

・・・笑えるくらい、吾輩そのものである。

 

慕ってくれている社員は数える程度で、ほとんどの社員に怖がられ、嫌われている。

嫌われ役をやっていたのもあるが、単純に嫌なやつだからだろう。

本当に、うまい具合にやっていくことができないのである。

だからこそ、社員の誕生日をチェックしてプレゼントしたりしているのだ(小物感はんぱねえw)。

 

おそらく、ちょっと精神的に弱い方だったら、自律神経やっちゃう人間関係になってしまっている。(現に、以前センター長だった人間で4か月で潰れてしまった人もいる)

人は鑑なので、そんな状態にしたのは吾輩の責任なのだが。

 

なぜ吾輩が精神をやれずにいられるか。

管理者がいうべきではないのかもしれないが

結局、自分の人生だから。と割り切っているからだ。

 

正直なところ、自分のため、自分の家族のために仕事をしている。

職場の皆さんのために生きているかというと、そうではない。それは真実だ。

 

会社に貢献することが使命であり、自分の価値を提供して対価を得ているわけで

「自分」を全うするため、多少のギクシャクは仕方ない。

みんなと仲良くなんて、吾輩にはとてもできっこない。

みんなに理解を得るなんて、元からできっこないと、40年で痛感している。

 

誰もが、好きな仲間・尊敬できる人と仕事がしたいはずだ。

吾輩もそうである。かつて、気の合う同僚が隣にいた時は毎日楽しかった。(同僚は二年ほど前に異動して別の拠点へ・・・)

嫌いな人や、考えが合わない人と仕事したくないし、してもいいもの(サービス)は生まれないような気がしてしまう。

 

会社に売上・営業利益で貢献することが使命であって、同僚として協力を得ることは必要だとしても、仲良しクラブになる必要はないのだ。

 

いわゆる「八方美人」が、ある意味うらやましい部分もある。

そりゃ、みんなの理解を得て、自発的な協力を得て、仲良く、しかし率直に意見は言い合える(言い合えるのが大事)のが理想ですよ。

でも数十人と人がいると、忠臣蔵の討ち入りのような団結には至らないのが現実。

・・・忠臣蔵の討ち入りですら、不参加者がいたんだっけ?
理想は現実の墓の中。

職場の人間関係と自分の人生、どっちが大事か。

考えなくてもわかりそうなもんだ。

 

職場の人間関係に苦しんでいる同志よ。割り切っていこう!

そんな完璧になんて、うまく行きやしないって。

肩の力抜いていこうよ。メシを食うためなだけじゃん。

どうしても嫌なら、スキル磨いて転職すりゃいいじゃん。何とか生きていけるっしょ。

 

 

最後に、前述の「ロクデナシ」の歌詞を紹介したい。

「劣等生で十分だ。はみ出し者で構わない。」

 

 

・・・40歳で管理者のおじさんがそんなことを言うなとか、言わないでね!傷つくから!あたしの心はfragile!!


Every Little Thing / fragile